Media Articles  メディア掲載記事

ベートーヴェン  奇跡の音楽を聴く 

宇野 功芳 

 
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 変ロ長調《大公》《幽霊》 LinkIcon

 
ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 作品97 《大公》
ヴァイオリン・ソナタ第5番 へ長調 作品24 《春》

ピアノ三重奏曲第7番 変口長調 作品97 《大公》

 
 室内楽の曲種で、ぼくがいちばん好きなのはピアノ・トリオ、つぎがクラリネット五重奏曲である。とくに前者はビアノ、ヴァイオリン、チェロという組合せが絶妙で、ベートーヴェンの「大公」とチャイコフスキーが2大名作であろう。
 
 「大公」トリオの第1楽章はいきなりピアノ・ソロによる主題で始まる。何という広々 としたテーマであろう。あたりをはらうような雄々しさと立派な風格、自信に満ちた雄々 しい足どり。仰ぎ見るような魂の高みを感じないではいられない。こんな主題はベートー ヴェンにしか書けない。
 
 それから後の3つの楽器のかけ合い、助け合い、深い内容の表出は一分の隙さえなく、 展開部途中の神秘な崇高さはとくに印象的だ。ピアノの3連音の伴奏の上をまずチェロが、つぎにヴァイオリンが主題の断片をピアニッシモで奏する。澄み切った静の境地といって良い。
 
 天衣無縫な第2楽章のスケルツォも粋で楽しく、テーマはリズミックだが、その主題が突然のレガートで各パートに歌われる表情の変化(とくにチェロの出現)は、ベートーヴェンの表現力の最高の具現のーつだ。
 
 ソナタ形式に音楽の究極の姿を見るぼくにとって(2番目はロンド形式や3部形式)、 変奏曲形式だけはあまり好きになれない。変奏ごとに1回づつ停止しては元に戻って同じことを繰り返す。作曲家にとってはやり甲斐があるだろうが、聴く側は好き嫌いが分かれるだろう。『クロイツェル』ソナタの第2楽章が良い例だが、『大公』トリオの場合は反復しないのでずいぶん救われる。それどころか主題と4つの変奏によるアンダンテは、高雅な情趣に満たされている。
 
 

カザルス・トリオ  1928年 [オーバス蔵・OPK2001-1(2牧組)]

   
 1928年、SP最初期の力ザルス・トリオが今もって第1位というのは(それも、あらゆる人がベスト・ワンに推す)本当に信じられないことだ。電気録音になったばかりで、たとえばワルター/ウィーン・フィルの美麗な音色に比べるとかなり貧しいが、それでもピアノ、ヴァイオリン、チェロだけのトリオなので、マイクが拾いやすかったのだと思う。それにオーパス蔵の復刻が例によって見事。とくにSPが最も不得意とするビアノの音が、こんなに美しく入っていたとはおどろきである。
 
 カザルス・トリオのCDで聴いていると、「大公」トリオの美しさに参ってしまう。なんという名曲なのだろう。とくに第1楽章がそうだ。速いテンポで何気なく、すっと始まるデリケートな静の境地!どこにも聴かせようとするほこりっぽさがなく、誇張がない。あるのは名人たちの心静かな楽興の一時だけだ。
 
 展開部でチェロとヴァイオリンが第1主題の動機を交互に歌うところの澄み切ったピアニッシモはどうだろう。カザルスのピッツィカートとコルトーの粒がそろったトリルがかけ合う場面の詩や、再現部初めのコルトーが弾くテーマの最弱音も真に抜け切っている。3人の息づかいさえ手に取るように分かり、少しも歌いすぎず慎ましいこの楽章は、さながら天国に遊ぶ想いがする。
 
 第2楽章は音楽の気分がつぎつぎと変わってゆく。自由自在にテンポやリズムが移っ てゆく。それらが空中を泳ぐような自然さと、気どりのない静寂そのものの佇まいの中に現れるさまは、絶対に他の三重奏団の真似し得るところではない。たとえば主題がしゃべるようなスタッカートで出て、途中ワルツ風の柔らかさに変化する部分が、これほど見事な間を伴って弾き分けられた例はない。とくにコルトーとカザルスが絶妙だ。全体にピアニッシモが多く、音量を抑えているのもプラスに働いている。
 
 第3楽章は冒頭のコルトーのソロがまさに音楽以外の何者でもなく、内面的ではあっても決して暗くはなっていない。ベートーヴェンのソナタが苦手で(どうしても表情過多になってしまうので)人前では決して弾こうとしなかった彼だが、カザルス・トリオの場合はまったくの別人なのだ。そして3者のしみじみとした深い内省はとても筆舌には尽くし得ない。
 
  フィナーレは豪快で精力的な曲想を持つが、カザルス、ティボー、コルトーの3人には張り合おうとする気負いがなく、さりとて遠慮もなく、融通無碍に弾きながら、すべてが最高の音楽になってしまう。ここには閣達な名人技と天才的な間が連続する。
 
 

アリスタ・トリオ  2001年 [ドイツ・シャルプラッテン・TKCC15326] LinkIcon  

 
 アリスタ・トリオは天才的なピアニスト、鳥羽泰子が、ウィーン・フィルのメンバー2人を巧みにリードして成しとげた名演で、録音の新しさも加味し、あえてカザルス・トリオと同格の評価をあたえた。カザルス・トリオは演奏者よりも作品の偉大さが前面に出ているところがすばらしいのだが、アリスタ・トリオもまったく同じなのである。
 
 第1楽章はやはり速いテンポで開始されるが、鳥羽のピアノは神々しく、ほとんど人間が作った音楽とは思えない。極上の繊細さの中に無限の味があり、趣があり、こくがある。上品で、級密で、清らかで、涼しく、どこにも大言壮語した跡のない高貴な美演がここにある。流れが実に良い。第2主題の軽やかなリズムは、ことによるとコルトーを上まわるかもしれない。展開部のかけ合いの部分(前述)でチェロがテンポを落としてしまうのは惜しいし、鳥羽のトリルもやや強く、その美しさが地上のものになってしまっている。とはいえ、彼女のpppによる第1主題再現は美しさのかぎりだ。そして鳥羽の音楽性が2人を上まわっているせいか、一般のウィーンの楽人によく見られる、優雅ではあるが平凡なところがなく、《いわゆるウィーン風》になっていないところを高く評価したい。音程だけをとればカザルスやティボーを凌ぐ。
 
  第2楽章も小味な美しさにあふれ、強弱の差を大げさにしない品の良さが光る。ここでもピアニストのリズムが何とチャーミングなことであろう。
 
 第3楽章は第1変奏からして鳥羽の最弱音が美しさのかぎりだが、ここではヴァイオリンもチェロも天国的にかたらい、デリケートで淀みのない流れが音楽そのものしか感じさせない。
 
 フィナーレは冒頭からしてモーツァルト風で、もう少しベートーヴェンの野性的な大柄さがほしい気もするが、不世出のカザルス・トリオとここまで肩を並べたアリスタ・トリオを偉とすべきであろう。
 
 

ヴァイオリン・ソナタ第5番 へ長調 作品24 《春》

 
 当初の予定では、この『スプリング』ソナタは本書に載らない筈だった。しかし現在、 ぼくの一押しヴァイオリニスト、佐藤久成のリサイタルを企画したとき、この曲がプログラムに入り、何度もリハーサルに立ち会った。その後のレコーディングでは、リハーサルと本番収録で数え切れないほど「春」に接しているうちに、佐藤/鳥羽の名演奏のせいもあって、同曲が大好きになってしまった。
 
 宇野功芳企画ということになれば責任も重い。ぼくは「春」のすべてのCDを耳にした。初めのうちはデュメイ/ピリスの方が上かな、と思っていたのに、彼らはめきめき腕を上げ、CDになったときはベスト・ワン、それもたった1枚の◎印となった。本当にこれは凄い演奏だ。