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モーツァルト:ピアノ小品集

CDライナーノート 

 
ピアノ:鳥羽 泰子  
ヴァイオリン:ダニエル・フロシャウアー  
【キングインターナショナル】 KICC3007
 
文:宇野 功芳
 
 

 

  烏羽泰子のベスト演奏

 
  ついに烏羽泰子のベスト演奏が登場した。モーツァルトのソナタ全集(Vol.1 LinkIcon  Vol.2 LinkIcon  Vol.3 LinkIcon  Vol.4 LinkIcon )で、閃きに満ちた数々の名演を聴かせてくれた彼女だが、モーツァルトはむずかしく、完壁無類というわけにはゆかなかった。 むしろベートーヴェンの〈大公トリオ〉 LinkIcon クレメンティの〈ソナチネ〉 LinkIcon の方に満足感が大きかったぼくだが、今回の〈きら きら星による変奏曲〉こそ、録音も含め、 彼女のベスト・ワンとするのに何のためらいもない。それどころか、これ以上の〈きらきら星変奏曲〉を今までに聴いたことがない。まさに完壁無類、鳥羽泰子というピアニストの才能が文字通り、きらきらと輝いているのだ。
 
  モーツァルトのピアノ曲がなぜむずかしいかといえば、それは音が少ないか らである。ごまかしがきかず、そのピアニストの音楽性、芸術性が白日の下に
さらされてしまう。この〈きらきら星による変奏曲K.265〉(1781-2年にウィーンで書かれた)など最たるもので、普通に弾くと面白味のうすい曲になってしまうが、 鳥羽は聴く者の息を殺させ、夢中にさせる。音の一つ一つがこんなに生きて語りかける演奏がかつてあったろうか。
 
  単音の四分音符が連続するだけのシンプルをテーマからして、烏羽の表情は絶妙だ。反復の際のエコーはともかくとして、雰囲気の変化が名人芸であり、問の入れ方もうまく、即興的な強弱やリタルダンドが多用され、しかも絶対にごちゃごちゃしない。この主題提示だけでわれわれは完全にノック・アウト、彼女のペースにはまってしまう。
 
  第1変奏はこれぞモーツァルト!といいたい魅力の連続、美しさの極み。反 復のエコーも同様だが、最初の繰返しは何と逆エコー(一回目の方が弱い!)、 その自在感がたまらない。演妻というものはこうでなければ!
 
  第2変奏では反復のときの左手の生かし方が異なり、まことにユニーク、右 手の装飾やルバートもモーツァルトの魂が乗り移ったかのよう。第3変奏も自由自在に浮遊し、メカニックなところは皆無、ときにはチェンバロの特徴さえ引き出してくる。
  第6変奏では左手の十六分音符連続に凄みがある。大体、凄みが出る方がおかしい音楽なのだが、鳥羽泰子が弾くと、この変奏のみならず、細かい音符に悪魔的なものさえ漂うのだ。〈きらきら星による変奏曲〉が悪魔的?もう、そのことだけで驚嘆せざるを得ないのではないか。こんな演奏は初めてだ。そして芸術としての高みは全盛期のクラウスを彷彿とさせる。
 
  短調の第8変奏は弱音主体で寂しい。 そのくせ、おしゃまなリズムが顔を出したりする。島羽泰子とは何者なのか。
 
 第11変奏ではアダージョに変るが、思い切って鳴らす高音のフォルテのなんとチャーミングなことだろう。しかも繰返すときは、サッと身をひるがえして変化してしまうのだ。たったいま笑っていたかと思うと、次の瞬間にはもう目にいっぱい涙を湛えているモーツァルト、瞬時に心が移ろうモーツァルト、これこそ、この作曲家の神髄といえよう。
 
  本アルバムの大きな特徴は、K.1から K.9にいたる幼いモーツァルトの作品が収められていることだろう。そして実に興味深いことに、鳥羽泰子はにれらの 曲を少しもかわいらしく弾かず、男性的に堂々と振るまっていることで、まことに端倪すべからざるものがある。〈アンダンテK.1a〉〈アレグロK.1b〉〈メヌエット K.1e〉などがその例だし、〈メヌエットK.2〉 ではウインナワルツの三拍子さえ想像させてしまう。後期のロンド二作では 「K.485」の愉しさを採りたい。