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モーツァルト:ピアノ三重奏曲

CDライナーノート 

 
ピアノ:鳥羽 泰子  
ヴァイオリン:ダニエル・フロシャウアー  
【キングインターナショナル】 KICC3007
 
文:宇野 功芳

 
  アリスタトリオといっても、まだポピュラーな存在ではないが、ピアノを弾いているのが鳥羽泰子だと知れば、「レコード芸術」でも高い評価を受けたモーツァルト ソナタ全集 ( Vol.1 LinkIcon   Vol.2 LinkIcon   Vol.3 LinkIcon   Vol.4 LinkIcon  )を思い出す方も多いだろう。
 
  ぼくも島羽の才能を人一倍高く評価する者であるが、彼女のすばらしさを知ったのは、実はソロではなく、アリスタトリオのCD LinkIcon によってなのだ。曲はベートーヴュンの「大公」と「幽霊」だが、とくに後者は同曲CD中、ベスト・ワンの美しさである。弦の二人はウィーンフィルのメンパーだが、この演奏の良さはウィーン風でないところにある。ウィーンの伝続に寄りかからず、そういう狭い地域性を超えた心の宝石のような輝きがあったが、それをリードしていたのが他ならぬ鳥羽泰子なのだ。「大公」 の方は今もってカザルストリオという牙械がそびえ立ち、いかなる名人上手といえどもそれに敵うものはなかったが、ぼくはアリスタトリオのCDによって、初めてカザルストリオを忘れることが出米た。とくに第1第2楽章は出色の出来ばえである。
 
  そんなアリスタトリオが今度はモーツァルトに挑んだ。曲自体がベートーヴェンと比べて著しくスケールが小さいため、ヴァイオリンなどにときどきウィーン趣味が顔を出すが、それもいやではない。
 
  全8曲のうち、感銘深いのは、やはり、「K.564」 と「K.542」だ。前者は1788年、「K.542」「K.548」とともにウィーンで書かれたものであるが、本来ピアノソナタとして作曲されたという説もあり、ピアノが優勢である。そして島羽泰子が水を得た魚のように全体の主導権を握り、まことに活き活きと振る舞っている。しかもソナタほど入れこんでないぷん、モーツァルトの天国的な美しさが際立つことになる。
 
  第1楽章から音色といい、強弱といいニュアンスのかたまりであり、デリケートなセンスが漲り、島羽あってこそのアリスタトリオだということが分る。展開部に入るときの感じ切った短調など、美しさの極みといえよう。とにかく良い曲だと思わせてくれる。ヴァイオリンのフロシャウアーはもうーつ音色の洗練が望ましいとはいえ、ウィーン風の歌が魅力的だし、チェロのフリーダーは、といえば、第2楽章でウィーン風を超えた心のカンタービレを聴かせてくれる。そしてフィナーレにおける鳥羽のピアニッシモ!本当に涙が出るはどだ。
 
  「K.542」のピアノも身のこなしの敏捷さが格別であり、三人のアンサンプルは緻密で一分の隙もない。心が通い切っているからであろう。
 
  「K.10」から「K.15」にいたる6曲は1764 年にロンドンを訪れたモーツァルトー家が1 年3ヶ月にもおよぶ滞在中に書かれたもので、いずれも王妃に捧げられたた。
 
  モーツァルト少年はまだ8歳、曲としての魅力は前2曲におよぶべくもないが、アリスタトリオのデリケートで細部まで神経か通った演奏によって、これらのいわゆる「ロンドン・ソナタ」 か現代に蘇った。もっとも、音楽の実質はあくまでクラヴサンのためのソナタで、ヴァイオリンは助奏、チュロにいたってはほとんどクラヴサンの左手をなぞるだけで、そのため、旧モーツァルト全集では「ヴァイオリンまたはフルートの伴奏で演妻できるクラヴサンのためのソナタ」に分類されていた。しかし、さすがはアリスタ・トリオ。たとえば「K.13」の第2楽章でチェロを十二分に活躍させている。この郎分の美しさは全6曲中でも最も感銘深く、いつまでも印象に残った。